今も続くイエメン内戦はなぜ始まったのか

2015年の空爆から始まったイエメン内戦の原因とは?




2011年から今も政府軍と反政府軍の間で戦闘が続いているシリア内戦に隠れ、その惨状が伝わっていないイエメンの内戦。2015年から始まったこの内戦で800万人に近い人が飢餓の危険にさらされている状態となっています。


今回はイエメン内戦がどうして始まったのかにクローズアップしたいと思います。






イエメン内戦はどのようにして始まったのか


2015年3月25日に行われた「アラブ有志連合軍」による首都サナアの空爆がイエメン内戦の始まりです。冒頭の写真はその当時のもの。ただ、これは内戦の始まりであって、原因や背景は2011年にイエメンにもやってきた「アラブの春」にさかのぼります。


2010年にチュニジアのジャスミン革命を発端にして起こったイスラム地域での反独裁政権運動「アラブの春」の機運はイエメンでも高まります。2011年1月に33年大統領の座に座っていたサレハ大統領の5年任期制へ移行する憲法修正案が与党によって支持されたことを受け、反政府運動が勃発します。


部族への帰属意識が強いイエメンでは特にハシドとバキールが大きな力を持っており、中小25以上の部族がいずれかに属しています。そのハシドが4月に反政府運動を支持し、サレハ大統領は6月に反政府側による大統領宮殿のモスクへの砲撃で負傷しサウジアラビアへと搬送される形で退陣、亡命をしたのでした。


ハーディ大統領


もともと中東の中でも経済的に困窮した状態が続いていたイエメンの国民は新しいハーディー暫定政権に期待をかけます。しかし、ハーディ政権は前政権が招き入れてしまったアルカイーダによる攻撃や南部独立派の動き、サレハ支持層の反発、政権内の汚職、食糧危機などのさまざまな問題に直面します。


経済状態が好転しない中、ハーディ政権はIMFの勧告を受け入れ、ガソリンの補助金を削減し経済政策へ予算を回す決定をします。ところがこの政策によってガソリンが値上がりすることに反発したタクシードライバーが抗議デモを起こします。抗議運動はいっこうに経済状態の改善が見られないことに不満を抱いていた人々にも広がり、北部のシーア派系サイドの流れを組むホーシー派が呼応します。


イエメンではサウジアラビアの影響を受けてサラフィー主義(初期イスラム主義への回帰をモットーとする主義)のスンニ派が主流となっていて、国民の6割を占めています。ホーシー派はサレハ大統領と武力衝突をしていて、国内におけるスンニ派勢力拡大に歯止めをかけようと活動をしていました。


ハーディ政権への反政府運動はスンニ派もホーシー派も一緒になっての動きになりました。2014年9月にサナアに入ったホーシー派とハーディ政権は一時歩み寄りを見せますが、それも決裂し12月にホーシー派はハーディ大統領をはじめとした閣僚を自宅軟禁状態に置きます。


2015年1月にホーシー派の圧力に押されてハーディ大統領は辞任を発表するも、アデンに脱出し自らの政権の正統性を主張します。3月には国外へと追い出されたハーディ氏はアラブ連合に援助を要請したのでした。


シーア派国家イランの影響を懸念したサウジアラビアほかスンニ派8ヵ国はハーディ政権を復活させるために2015年3月25日にアラブ有志連合軍による空爆を開始したのでした。アルジャジーラの調べによると、空爆開始から2017年までに行われた空爆の回数は1万6633回におよぶとのことです。アラブ有志連合軍にはアメリカ、イギリス、フランスが軍事や情報の支援を行っています。




参照
http://www.bbc.com/news/world-middle-east-29319423
http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/PolicyBrief/Ajiken/087.html
http://www.news-digest.co.uk/news/news/in-depth/7778-yemen.html



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